デンマーク・日本いろいろ 第29号
日本にハンコ・レス社会は到来するか? デジタル社会に思うこと
2020年10月
<デジタル庁開設への動き>
コロナ・パンデミックがいまだに世界中で終息する気配を見せず、日本やデンマークでも第二波と思われる状況が続き、両国政府は今なお難しい舵取りを迫られています。そんな中、日本では安倍首相が健康上の理由で突如辞任。それに伴い安倍政権で長年官房長官を務めた菅義偉氏が9月に99代首相に就任し、新内閣が発足しました。そして菅首相は、直ちにデジタル改革担当大臣を任命し、出来るだけ早くデジタル庁を開設すると宣言しました。
さらに行政改革・規制改革大臣に就任した河野氏は、「ハンコを押せとルールで決まっているとオンライン化できない。行政のデジタル化は喫緊の課題で、それを妨げる規制は、私のところで取り外す。」と記者会見で述べ、すべての府省に行政手続きでハンコを使用しないよう求めました。そして民間から行政機関への申請手続きなどで求める押印について原則廃止を通知し、もしそれを存続する場合は、9月末までに理由を示すように要請しました。 その後同大臣は、次の段階として「書面やファックスをやめたい」と述べ、行政手続きのオンライン化に意欲を示しています。
これら一連のニュースを聞いてまず頭に浮かんだことは、「超ハイテク社会だと海外の多くの人たちが信じて疑わない日本で、今ようやくハンコに象徴される旧式承認方式にメスが入り、本格的なデジタル・オンライン社会構築改革が始まろうとしている。この事実を海外の人たちはどう受け止めるだろう。」ということです。日本のこれらの動きは、当然しかるべき動きなのですが、国際的視野から見ると、デジタル化がここまで進んできている21世紀の話とは信じがたく思われ、大変不謹慎かもしれませんが、滑稽にさえ聞こえます。
<日本のコセキはカセキ。ハンコもカセキ?>
私的なことですが、一昨年暮れに母が他界し、昨年は相続税支払い手続きを含むさまざまな手続きにかなりの時間とエネルギーを費やしました。これは日本人なら誰もがいつかは経験することなのかもしれませんが、私の場合は、海外居住で実印を持たないため、その代わりとなる署名および拇印証明書や在留証明書を日本大使館に出向いて取得(用心のために6部ずつ申請、合計金額1万5千円)することから始まり、日本では、被相続人である母に関する気が遠くなるような多岐にわたる必要書類を集めることに加え、相続人の一人として私の戸籍謄本から銀行口座の預金残高証明書、過去5年分の通帳・定期預金の証書等に至るまでの書類集め、そして税務署への手続はとても素人では出来ないと判断して税理士に依頼するなど、手続きの複雑かつ煩雑さは想像を絶するものでした。何故ここまで非効率的な手続きが必要なのか、正直なところ理解に苦しみ、憤りすら覚えたほどです。そして収集した大半の書類にはハンコ押印が。
日本の戸籍は古くから用いられてきた公文書ですが、21世紀の現在、この制度が存在するのは日本以外だと中国と台湾のみで、これらの国には新制度が導入され事実上形骸化されているようなので、今なお使っているのは日本だけです。そのため、私は以前から「日本のコセキは、カセキのようなものですね。」と表現してきましたが、今回の体験を通じて、ハンコも化石に近いように思えてきました。これらの手続きが全てオンライン化されたら、どんなに時間も労力もセーブできるでしょう!
<デンマークの相続手続きは?>
デンマークに戻り、私は早速夫に、家族の一員が亡くなった際の諸手続きについて尋ねました。夫はいとも簡単に、「個人に関する必要な基本情報はすでに行政機関が把握しデジタル化されているのだから、遺族が証明書や書類を集める必要はないし、遺産相続手続きにしても、地方裁判所に設置されているprobate court(資産などの所有を売買行為以外の形式で他者に譲渡する時などの検認を担当する裁判所、日本の遺言検認裁判所に相当)が必要情報を行政・金融機関からオンラインで集めて検証作業をおこない、その上で出頭した遺族がヒアリングを受けて、特に問題がなければ、それで終了。相続税もその後自動的に税務署にオンラインで振り込まれるので、手続き上の遺族の負担は殆どないに等しいね。」と語りました。私の日本における体験談は、夫に限らずデンマークの人たちにとっては、「信じられない!」ことなのです。
<日本のマイナンバーとデンマークのパーソナルナンバー>
日本のマイナンバー制度は、2015年1月に運用が開始され、住民票を有する全ての国民が持ち、社会保障や税金の申請・手続き・管理などに利用されることになっています。その個人番号は12桁ですが、「皆さんは自分の番号を覚えていますか?そしてそれをどの程度、どんな時に利用していますか?」 この制度導入後、私が日本でこのような質問を投げかけると、殆どの方から「番号は覚えていないし、使ったことがない。」という返事が返ってきました。ただ数カ月前、安倍前首相がコロナ禍の緊急経済対策の一環として全国民に一律10万円給付することを決めた時、役所にマイナンバーを使ってオンライン申請することが推奨され、それを実践した人がかなり多かったようですが、結果的には、デジタル申請書への記入ミスや本人確認の煩雑さなどが表面化して、郵送申請よりかえって手間が掛かったと感じた自治体職員も多く、どうも成功したとは言えなかったようです。
デンマークにも日本のマイナンバーに相当するパーソナルナンバー(De Centrale Personregister、通称CPR)があります。この制度は1968年から運用されているので、すでに半世紀が経ったことになります。住民登録をしている人であれば国籍にかかわらず全員が10桁のCPRナンバーを持っており、大人なら誰しも自分のナンバーを覚えています。それは、次のような理由によります。

@覚えやすい数字:はじめの6桁は自分の誕生日なので、最後の4桁だけ覚えておけば良い。最後の数字が偶数は女性、奇数は男性。(例:101050-1234 は1950年10月10日生まれの女性)

Aデンマークでは、社会保障・税金・医療・教育をはじめとするさまざまな公的サービスのほかに、民間分野でもローン契約時や就職時などでもCPRナンバーが使われており、使う機会が多い。

B特に医療サービスではCPRナンバーを使う機会が多く、誰もが常に所持している健康カードには、家庭医の氏名・電話番号・診療所住所、本人の住所氏名に加えて、本人のCPRナンバーが明記されている。
<デジタル社会デンマーク>
1.安全なログインシステムNemID
デンマークでは、特に1990年代半ば頃から業務の効率化・合理化の流れの中でデジタル化が急ピッチで進みましたが、21世紀に入ると、インターネットへの安全なログインシステムNemID(nem=easy)の使用が2003年から始まりました。これには個人用と企業用の2種類ありますが、どちらの場合も電子バンクへのログインや公的機関から情報を入手する時、さらにこのシステムを利用している企業間の通信開始時などで日常的に使われており、約510万人(デンマークの総人口は580万人)が公的デジタルサイン付きNemIDを持ち、90%の利用者がこのシステムに満足しているという調査結果(2019年)が出ています。 その後、NemKonto(公的機関と個人間の出納口座、現在560万の個人関連口座と約70万の企業関連口座が存在します)やNemSMS(公的機関との約束事の事前通知、例:病院外来診察予約日の前に、病院から来院時間など確認の知らせが届く)なども普及しました。もし日本にNemKontoのようなものが存在していたら、前述の10万円給付も行政側が各個人(未成年者は保護者)のこの口座にオンラインで振り込めば済むわけで、手間が大幅に省けます。
2.公的機関と市民を結ぶ総合的な共同市民ポータルBorger.dk
デンマークは医療・福祉・教育など国民の生活に欠かせないサービスは公共サービスなので、国民は国・地方自治体・病院・家庭医・税務署・学校その他多くの公的サービス機関との交信や莫大な情報が一本化されていると非常に便利です。そのような国民からの強い要望に基づき、国と地方行政が協力して開発したのがBorger.dk(Borger=citizen)と呼ばれるポータルで、2007年にスタートしました。さらに一年後にはmin side(my page)がその中に設けられ、ここにNemIDでログインすると、CPR登録からの個人情報、税務署からの所得情報や個人の医療情報などにも入ることができるようになりました。具体的な例としては、病院で受けた検査結果やカルテの内容をこのポータルを通して当事者が読むことができるといったことが挙げられます。昨年一年間にBorger.dkには4620万件の訪問があり、このシステムに満足している市民は91%にも上っています。
3.郵便もデジタル化 Digital Post/E-boks
デジタル化の流れとともに、私たちの日常生活にもペーパーレスの波が押し寄せてきました。デンマークでは、2001年にデジタル郵便が始まり、今では15歳以上の市民490万人中450万人がデジタル郵便システムに登録されています。これにより、公的機関から個人に宛てた郵便は基本的に全てデジタル化されました。ただここで問題視されたのは、インターネットを利用できない人が、社会の変遷に取り残されやしないかという懸念です。そのため、デジタル郵便を何らかの理由により利用できない人は、申請すれば従来の郵便形式で公的機関から郵便物を受け取ることができることにしました(その数は現在約38万人程度)。「デジタル化の波に取り残されてはいけない!」と危機感を募らせた多くのシニアは、シニアクラブなどが企画したコンピューター教室に通うなどの努力をしたため、今では60代〜80代の大半がデジタル郵便を利用できるようになっています。(自宅のインターネット接続:15〜89歳94%、 75〜89歳66%)
写真:市の高齢者アクティビティーセンターのパソコン教室風景
<E-Government Survey 2020>
国連は、2001年から2年毎に、世界中の多くの国における公共デジタル化状況を調査して、その結果を発表してきました。今年も7月に調査報告が出ましたが、デンマークは前回に引き続き193ヵ国中1位にランキングされました。(トップ10:デンマーク、韓国、エストニア、フィンランド、オーストラリア、スウェーデン、英国、ニュージーランド、米国、オランダ・・・日本は14位)
2011年に財務省の下に開設されたデジタル庁の長官は、この結果を次のように語っています。 「デンマーク人は、共同作業が得意ですね。公共部門を構成している国・リジョン(日本の県に近い)・コミューン(市)の相互連携に加え、この国の公共部門と民間企業との強い相互連携は、世界的にも特筆すべきものかもしれません。そして公共部門においては、過去20年にわたり共通目標を掲げてデジタル化戦略を進めてきました。目標の一つは、公共部門と個人との間のコミュニケーションを80%デジタル化させることでしたが、現在すでに91%にまで達しています。デンマークには基本的なITインフラが整備されていますが、これがあるからこそデジタル化をさらに促進させることができるのだと思います。」
デジタル庁が掲げている現在の目標は、次の通りです
@デジタルシステムはシンプルかつスピーディーで高品質であること
A公共デジタル化は社会発展に貢献すべき
B最重要視すべきは、「安心」と「信頼」
マイナンバー制度を国民みなが簡単にかつ安全に利用できるシステムの構築、デジタル社会に向けての社会共通の戦略、そして行政に対する国民の信頼が日本のさらなるデジタル化には欠かせないように思われます。ハンコ・レス社会は、思いのほか早く到来するかもしれません。