デンマーク・日本いろいろ 第24号
「異文化社会とアイデンティティー」
2020年1月
最近の新聞に、「デンマークに住んでいる市民の5人に一人が外国人ルーツを持っている」という記事が掲載されました。これは、現在のデンマーク総人口約580万人中約120万人が、家族全員または近親家族の中に外国人ルーツの人がいることを意味しています。そしてその内約40万人は、トルコ、イラク、パキスタンなど非西洋諸国のルーツを持つ人だそうです。
日刊新聞Berlingske
近年ヨーロッパには、アフリカや中近東諸国からの難民が多数押し寄せ、これがヨーロッパ諸国に深刻な社会問題を投げかけているというニュースは、日本でもかなり報道されたので、ご存知のことと思います。特にイタリアやギリシアは地中海を渡って漂着したボート難民受け入れに頭を抱え、またドイツやスウェーデンなどは人道的観点から多くの難民を受け入れたものの、それが一面仇になって、国の政治をも揺るがすほどの国粋主義的な動きが強まってきており、さらに集団犯罪発生件数の増加などさまざまな社会不安が起きています。 デンマークは、過去長年にわたり、ジュネーブ協定に基づいて海外からの難民を寛容に受け入れる伝統がありましたが、近年は難民受け入れをかなり制限する政策が取られ、このことが他のヨーロッパ諸国や隣国スウェーデンからも批判されました(2014年と2015年の2年間に受け入れ申請があった難民数は、スウェーデン約25万人、デンマーク約3万6千人)。それでも毎年何千人単位の難民を受け入れているのですから、デンマークのような小国にとっては、かなりの負担です。 ただ外国からデンマークに移住する人の背景は、難民に限らず多岐多様です。1970年代には労働力不足問題を解決する一手段として、トルコやパキスタンなどから多くの労働移民とその家族を受け入れました。また近頃は、東欧諸国からの出稼ぎ労働者(あるいは労働移民)も特に建設業界で目立ちます。さらに近年の人材不足や国のさらなる経済発展のために特殊技能を持つ外国人(例えば医師や研究者など)を積極的に呼び寄せる政策も取っているので、デンマークに住む外国人が近年かなり増えたことは、ある意味必然的な現象だと言えます。
たまに首都コペンハーゲン市内に用事で出かけると、電車の中にも、街頭にも、店にも、見るからにデンマーク人でない人、特に中近東系の人が非常に多いと感じます。同伴者と流ちょうなデンマーク語で話している人もいれば、外国語で話している人もいます。ごく普通の服装をしている人もいれば、イスラム教信者とすぐわかるスカーフをかぶり、長いスカートをまとって身体をあまり露出していない女性もよく見かけます。彼らは国籍がどうであれ、れっきとしたデンマーク市民であり、観光客ではありません。私がデンマークに移り住んだ45年以上前には想像できなかった光景です。
今から10年以上前、デンマークの公立義務教育機関であるフォルケスコーレ(日本の小中学校に相当)で、デンマーク語を母国語としない子どもたちが全校生徒の3割以上、中には半数以上占める学校が出て、教育面でも社会面でもどう対処すべきかが問題になったことがありました。これは特に労働移民が多く集まって暮らしている地域の学校に顕著な現象ですが、言語だけでなく、文化・生活習慣・宗教など基本的なアイデンティティーが大きく異なる家庭に育った子どもたちに、個と自立を重んじる教育・民主主義教育・デンマーク市民養成教育・デンマーク文化などをどうやって学んでもらうか、一教師や一教育機関ではとても解決できない国レベルの大きな課題でした。 日本の皆さんは、クラスの半数以上が日本人でない公立学校の授業風景を想像することが出来るでしょうか? もし自分がそのような状況に置かれたら、先生としてどのような教育をすればよいか、多少教育に関わった経験のある私には見当がつきません。
これらデンマーク語を母国語としない子どもたちのことを「二か国語チルドレン」と呼んでいますが、彼らの大半は、義務教育を修了したら、自分たちの親と同じような仕事(各種サービス業や職人など)に就くことを希望して、職業専門学校に進学するケースが主流でした。ただ近年は、大学レベルの高等教育を目指して高校へ進学する若者が徐々に増えて来ました。(デンマークの高校は、高等教育に進学するために必要な一般教養を学ぶ場所で、進学率は75%程度。日本のように95%以上の若者が進学する高校とは性格が異なります。) 数日前の新聞には、「外国人ルーツの生徒が一定の高校に集中」というタイトルで、高校への二か国語チルドレンの進学率が増えたことによる肯定的・否定的両面の実態が報道されていました。労働移民の家庭に育った若者たちが、よりレベルの高い資格教育分野に進出することは、非常に喜ばしいことですが、反面、これが一定の高校に集中して比率が3割を超えるようになると、以前のフォルケスコーレと同様に、さまざまな問題が発生することが懸念されます。特に問題視されているのは、二か国語チルドレンが一定の高校に集中すると、該当校に入学を希望するデンマーク人生徒が減り、生徒数が減少して学校経営が困難になることや、同じ学校内で生徒のグループ二極化が進み、異文化交流やインテグレーションが難しくなるといった点です。中には非デンマーク人生徒が77%を占める高校もあり、このままでは高校間の二極化問題が発生してもおかしくありません。国レベルの対策が今再び強く求められています。
はじめにご紹介した新聞記事を読んでいて、私はふと妙な気持ちになりました。それは、これまで私は、海外からの労働移民や難民のデンマーク社会へのインテグレーション問題を第三者的に受け止め・見つめて来ましたが、当の私も、新聞に記載されていた民族グループ分類では「非西洋諸国から来た移民・移住者、6.1%」の一人であり、定義上は、彼らと全く同じ枠に入っているということです。デンマークの知人や友人たちは、「孝子は日本から来て、しっかりデンマーク社会に根を張っているのだから、彼らとは違う。」と発言する人もいますし、口に出さなくてもそう思って付き合ってくれているようですが、日本人であることや社会に根を張っているということが、どれだけ彼らと違うことなのか、どこに線があるのか、だれも答えることはできないのではないでしょうか。
デンマーク在住日本人の中には、デンマーク国籍に変更した方もいますが、私は日本人であるというアイデンティティーを手離す気持ちにどうしてもなれないため、ずっと日本国籍を保持しています。このことで唯一私にない権利は国政選挙権だけで、あとはデンマーク人と「対等」の権利を有しています。その代わり、私のような外国籍の人が長年この国で生活するためには、永住権を取得する必要があり、当然私も45年ほど前にこれを取得し、労働・永住カードを所持しています。ただ近頃このカードが電子化され、私も切り替え手続きをしなければならなくなりました。主な理由は、出入国管理の強化・簡素化ですが、この手続きに当たり、まず私がしなければならなかったことは、外国人管理局のホームページにある「新デンマーク市民のための手続」という項目に入り、その中にある申請書に記入することでした。半世紀近くこの国で暮らしてきた者が、なぜ「新デンマーク市民」扱いされなければならないのか、大いに疑問を抱き、憤りすら覚えたほどです。そして今後は、このカードを10年毎に更新することが義務付けられました。何も目くじらを立てるほどの事ではないかもしれませんが、もし政局が突然大きく変わるとか、大きな個人的状況変化が起きた時、絶対不動だとこれまで疑わなかった生活基盤が覆される可能性もゼロではない、とこの歳になり思うようになりました。福祉先進国と言われるデンマークや隣国スウェーデンでも、異民族・異文化に関連する問題は多々あり、これは私にとっても、決して他人事ではないのです。